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2004-06:index

2004-06-09

days-16:14

試運転中。色々と足りない。

days-18:02

今日は、十数年前に僕が生まれてしまった日。食事に行こうと言われたが、断る。こんな出来損ないの生誕を祝うだなんて、頭がどうかしてるんじゃないか。

言葉は、正しく、正しい対象に向けて使われるべきだ。おめでとうと言う言葉は、もっと真剣に、真っ当に、人間らしく生きてきた人に対して言わねばならない。そういう言葉を、人間以下の僕に対して言われたところで、それはただの嫌味か皮肉にしか聞こえない。おお、お誕生日おめでとう!よくそんな面を晒したまま、恥ずかしげもなく生きてこられたね!いやあ、おめでたい、本当におめでとう!

金輪際、誰にも僕に向かって「おめでとう」なんて言わせやしない。生まれた事も、生きている事も、何一つおめでたい事なんて、僕にはない。もし仮に、僕にそんな言葉があるとするなら。それは無様にのたれ死んだ時だけだ。

2004-06-11

days-04:23

今後の予定は、ログファイルの月別、日別保存、過去ログの一部の復旧と言ったところか。

そう言えばある人物からおめでとぅーヾ(・∀・)ノ゛と携帯にメールが届いていたので、次に会う時は学習ルームに呼び出してやろうと思う。……あの件の本質もこんなところだったんだろうな。

フクロウの夜、ナメクジの頭、牛の四肢。僕はキメラか。ああ、散歩でもしてこよう。

days-15:22

暫くぶりにぶっ飛んだ創作が書きたい、と思いはじめてきた。加納氏イソムラ氏のやり取りを見て触発されたのだろうか。加納氏の目論んでいるオンラインでの文藝の分野で一波亂も、もの凄く面白そう。

とは言っても、先に過去の切れ端どもをサルベージしてからでないと始まらないのだけど。一応以前のファイルは丸々サーバーに残ってるので、この辺とかを漁れば読める事は読めるのだけど。

携帯をサイレントモードのままソファーに放り投げ、飲めない酒を手元に、雨音に耳を傾けながら、少し呆けるとしよう。やるべき事は、休日に一気にやってしまえばいい。自分自身を含めて、今は誰とも話したくない。

2004-06-14

days-22:01

今日はとても素敵な事があった。怠惰な日々の繰り返しの果てに、思考の片隅に追いやられたとある人々との時間を思い出させてくれた、とても素敵な事が。

そういえば、カシュー王子は元気かなあ。今日もご主人様と戯れているのだろうか。今や捨てられ気味のメイドですが、未だにご主人様が過労で倒れていたりしないか心配なのです。

とか何とか昔の片鱗が出てきてしまうくらいに、あの時過ごした時間は、こんなにも脳裏に焼きついて離れないのに。何故、脳の片隅に追いやられていたのか。ああ、そうか……猫耳だ……。

なんて、上記の事は2、3年くらい前から僕の事をヲチしてる人でもない限り分からないのでしょうが。分からない方が良いこともあるのです。

days-22:11

小さい頃から結構頻繁に、感覚の暴走みたいなものを感じるようになって、一体何なのだろう、と疑問に思っていたのだけど、どうやら精神病の一種のようなものだったらしい。

極大と極小が交互にきたり、何か丸い膜のようなものに軽く圧迫されているような感じだったり、体の一部分が物凄く大きく感じたり、逆に凄く小さく感じたりと、ともかく人前で口走ったら間違いなくキ印認定されそうな内容なのに、実は結構な人が感じていたのか。どこか本当に脳みそに欠陥でもあるのではないかと怖かったのでちょっと安心。

2004-06-18

days-22:15

世間で言う親という存在は、僕の事をどうやら嫌いらしい。

一体どういう思考回路をしていれば、人をここまで不愉快に出来るのだろう。そこだけは実に知識として知っておきたい。人生長く生きていると、他人を上手く、残酷にこき下ろす術を身につけられるのだろうか。それとも、十数年間に及ぶ共同生活の上で自然とそういう風になったのだろうか。もし後者だとしたら、適当な頃合を見計らって消えてやる。

ただの反抗期なんて年頃はとっくに過ぎたし、誤解のないように書いておくが、僕の親らしきゴミ人間どもから「いらない子」の言質は得ている。両親揃って、政党まで組んでる某新興宗教の信者で、僕は何やらその宗教上である一定の特別な存在で、前世だかで高い徳だかなんだかをつんでいるので私達の所に以下中略な理由で生まれてきたのだから、つまるところ「生み、育ててやっている」のだそうだ。なーるほど、そりゃあ感謝しなくてはいけない。こんな糞最高な世界に生み落としてくれやがった恩は一生忘れねえよ。

よく人は一般論として「生んで育てて貰ったのだから、親に感謝しなくてはいけない」と言う。ただそれは子や第三者の言葉であって、親の言葉ではない。勝手な都合で生み落とされた上に、知能まで持たされて、一体何を感謝しろと言うのだろう。

情なんかに流されるな。冷静に考えろ。親は、あんたに、何をした。

2004-06-19

days-01:31

ふと疑問に思った。文学って、何よ。

世の中ではいろんな文章が、いろんな分類をされている。時々、「ライトノベルと文学の違いって何よ」ってな疑問を耳にすることがあるのだけど、僕も甚だ疑問で仕方がない。何かをさして「あれは文学じゃない」とかのたまってる人は、明確な「文学」の定義を持っているのだろうか。ただ、気に入らない文章をこき下ろすため、もしくは「自分は違いの分かる人間だ」と言う自己顕示の手段として言っているだけではないのか。

とは言うものの、僕にだって似たような節はある。某アイドルグループをさして「あんなの音楽じゃない」などとボロクソに揶揄しているのは、僕と付き合いのある方の殆どが知っている事だと思う。ただ、僕の場合は話の流れで冗談めかして言うだけであって、別に不特定多数に向けてあーだこーだ言うつもりはないし、言ったところで、そんなものは感性の違いなのだろうから、「自分はこう思う」程度の認識しか与えられないどころか、人によっては拒絶反応まで示し始めるので、何の得にもならない。

僕はそんなに本を読む方ではないけれど、学校で習うような著名な文豪の作品は、教科書とは別に最低一作品は読んでいるつもりだし、最近は友人の影響で海外文学にも食指を伸ばし始めている。それと平行して、曰くライトノベルも、とある著者の作品だけだが読んだりしている。

その上で―さほど読書量のない僕が言っていいものかは分からないが―読んで「凄い」と心底思えたのは夏目漱石とサリンジャー、あとはカミュくらい。巷で人気の村上春樹とやらの作品は(確かカフカ〜ねじまき鳥あたりまでは読んだ気がする)面白い事は面白いけれど、終始付きまとう釈然としない感じが、どうも嫌に後に残る。最近話題の何とかにピアスだとか蹴りたいなんたらは今のところ興味なし。金と暇があったら読むかな。あと、太宰はどうも生理的に嫌いらしい。

他の奴ら(失礼)はあまり印象が残らなかったので省くが、ともかく結論。こういう個人の趣向だとか信念に関わる話題は、首を突っ込むと突っ込んだだけ泥沼にはまるだけなので、「そうなんだ」程度におさめましょう、自分。

でも文学とライトノベルの違いは(あるものなら)切実に解説をして欲しかったりする。頭の悪い僕では違いが全く分かりません……。

2004-06-20

Webデザインの話-00:00

Blogの台頭と同時に、「カラム表示」なるデザインとやらが一世を風靡し、今では2カラム、多いところだと3カラムくらいに、情報が分断されている。

上で参照している先の記事を是非一読して頂きたいのですけれども、個人が持ちうる情報なんてのは、そうそう多岐にわたって多いわけじゃあ、ない。企業のWebサイトのような、多種多様な情報が入り乱れた文章を整理するための手段の一つが「カラム表示」なわけで、大体同一の話題を扱うBlogや個人サイトなんぞにそんなものを持ち込んだところで、煩雑な印象を与えるばかりか、閲覧者の混乱を招くだけの害悪でしかない、と思うのは僕だけだろうか。

では、煩雑にならない、可読性や扱いやすさに優れたUIでもって、かっこいいデザインをする、となると、これまた難しい。そもそも、カラム表示だとかHTMLなんてのは、英語圏あたりから持ち込まれたもの。彼らは表音文字を扱っている訳だから、表意文字を扱う僕らとは勝手が違う。表音文字を使い、かつ明確に文の形や要素が整っているあっちの言葉に対し、こっちは表意文字な上に、文の形も様々、要素に至っては人によって解釈の仕方が違ったりするから手に負えない。

結局、表意文字独特の表現(どーんと漢字をアクセントに使ったりするあれ)を活用するか、なるべく視覚的装飾を省いたスタイルにする、くらいしか、僕らに残された手段はないのではないかとさえ、思ってしまう。

とは言っても、上手い人が作ると、カラム表示のデザインであっても目に煩くなかったりするので、やはり重要なのはマージンの取り方だったり、余白の使い方だったり、色彩感覚だったりするのだろうか。

とりあえず、「引き算」のデザインを心がければ、無駄な装飾による目にも頭にも痛いデザインをしてしまう可能性は限りなく0になるわけで、その辺のところを世の文章主体のWebサイト管理者の方々には常に心の片隅に留めておいて頂きたいところ。

days-00:37

とある方に、チミのお話は赤のイメージがつくやつがステキねとお褒めの言葉を頂いた。

僕は大変妄想に近い空想が大好きでありまして、ボーっとしている時はまず間違いなく精神世界内での素敵上映会に参加しているので、そっとしておいてください。あ、じゃなくて、僕が何かイメージを受け取ったり、送り出す時には、大抵映像として脳内補完されているのです。

それが特に顕著なのが、音楽を聞いている時。時に映画のような情景、時に色彩とオブジェクトだけの抽象的動画が、脳内で繰り広げられているのです。BTやChicaneみたいな清々しい鮮やかな海を彷彿とさせる青のイメージも好きですし、AphexTwinのXtalみたいな、無機質だけれど、クリスタルが神々しい輝きを瞬くように放つイメージも最高。そういう楽曲からのイメージを現実にまで持ってきてムービーにする、と言う点では、クリス・カニンガムの手がけたクリップは本当に上手い。

つまりはそういったイメージを、僕の出来る範囲で表現、つまり文章にして出してみたのが、#が見出しに入っているbe shotなんたらシリーズだったりする訳で。

好きな色でもある赤がイメージに含まれる文章を褒められたとなると、こりゃ舞い上がって一筆書いてしまうって話です。

2004-06-21

days-17:43

テレビを眺める。台風が上陸でどうたらこうたら。面白そうなので、傘を持って自転車で出かける。

案の定、帰りは文字通り暴風雨。安物の傘はあっという間におちょこどころか、フレームからビニールが剥がれて一瞬で燃えないゴミに。傘の成れの果てを自転車置き場にそのまま投げ捨て、ニヤつく顔を、叩き付ける雨粒に渋い顔をしているようにみせかけて、少しゆっくりめにペダルをこいで走り出す。

ものの一分でシャツもパンツも、下着までずぶ濡れになり、いよいよテンションは上がり倒し。げらげら意味もなく大声を出して笑いながら、徐々に速度を上げてゆく。眼鏡に水滴がはりつき、顔や腕には痛いほどに雨粒が降りそそぐ。

傘を必死に支えて歩く人の群れをすり抜け、赤信号もお構いなしにつっきる。クラクションがけたたましく後方で鳴り響き、僕はまた大声で笑う。周りの音すべてがドップラー効果で前から後ろに流れては消え、周りを埋め尽くす雨も前から後ろに消し飛んで行く。

雨音の旋律、風音のディレイ、拍動のリズム。雨はテクノで、嵐はレイヴ。

家の前に着いてからも暫く外に立ち尽くし、空を仰ぐ。無機質な空から降りそそぐ無機質な恵み。眼に雨露が流れ込み、しくりと痛んだのでおとなしく家に入る。

耳の奥、頭蓋の底に、まだ先刻の音の残滓が残っているうちに寝るとしよう。

2004-06-25

days-01:52

ついてない。何もかもが最悪だ。いや……もうどうでもいい。

何度も何度も思った事をまた思う。何で生きてるのだろう。こんなこと書いたって、仕方がないか。

思う事はなく、感じるのは物理現象のみで、書くことすらも失った。

どうして人間には電源のスイッチがないんだろう。

2004-06-27

days-02:01

学校の課題で、800文字の小論文を提出したところ、たった2人の誰かに、隅々まで校正されて返ってきた。

提出したもの自体は、少し早めに登校して、ものの50分もかけずに書いたものであったわけだけども、その文章を読んだ人はそんな事はつゆ知らず、一文一句にまで目を通し、校正してくれたのだ。驚くべき事に、(恥ずかしい事だが)送り仮名の間違いにいたるまで、だ。

僕はその校正された内容を読んで、なるほど、確かに僕の書いた内容は、重要なことが欠けている、と納得した。日頃、こんな風に文章を書き殴っていることもあり、何かについて書く、と言う事はさほど苦労することはなくなったけれど、その文章がどのような意味を持つか、までは、あまり自覚できていないらしい。つまり、校正された内容は、「言いたい事が具体的でない」の一点だった。

いつごろだったろうか。僕が、絶対的な何かに対する渇望を抱くようになったのは。この世界に何一つ絶対的なものなど存在しない、とは分かっているものの、それでも「より絶対的なもの」を探し求めてしまう癖がついてしまった。だからこそ主体性のない、具体性の欠如したものしか、生み出せない。そうすれば誰かがより絶対的な何かを教授してくれるに違いない、と言う、諦めに近い魂胆があったのだろう。

しかし、具体性をもった何かを生み出すためには、その根源たる意思を固定しなくてはならない。そして、それはしばしば、妄信へと変質してしまう。思考の柔軟さと、剛健さをあわせ持つ事は難しい。

相対的な絶対性というものは、人が追い詰められれば追い詰められるほど、明確になってくるものではないだろうか。例えば、最近の文学は中身がない、と国語教師が愚痴っていたが、それはただ過去の文学が、今と比べて切迫した状態で書かれ、明確に当時の社会などに対しての立ち位置や思想が現れていただけであって、今の文学に中身がないわけではなく、今の僕らを取り巻く環境が、不明瞭で、混沌としているからではないだろうか。

と、やはり文末が「〜か」などと疑問形になってしまっている。具体性がない、とまた指摘されてしまうな。だけど、やはり僕のこの立場は変えられそうにない。間違える事が恐ろしいのではない。自分の思考が、凝り固まって醜く変質してしまう事が恐ろしいのだ。

2004-06-30

days-18:47

どこぞの誰かに某所に数度目の晒しを受ける。そういや最近カスイケ周辺みてないなあ、と言うわけで、ちょっくら弄ってみたのですが、定期的に組みなおしてるCSSがまた肥大化してきてますね。何処かに記述ミスがあるのか微妙にレンタリングが変ですがとりあえず今日はこんなもんでいいか。ああ、試しにレスポンスヘッダにapplication/xhtml+xmlを指定したら、アンカークリックすると勝手にダウンロードとかし始めるIEは本当に素敵だ。SleipnirがGeckoエンジン正式対応したら二度と使わん。

days-19:10

手動でログ個別保存やID振ってアンカーつけるのが、あほらしくなってきた。素直にBlogツールでも使え、って話だけど、今出回ってるBlogツールにろくなものがないので、それも出来ず。

一番手っ取り早いのは自分で作る事なんだろうけれど、そんな暇があれば文章の一つでも書いた方がよっぽどマシだってんですよ。いっその事、更新形態を古き良きテキストサイト時代にまでさかのぼってみるとか。……今とあんま変わらない気がする。

ひとまず寝て、それから考えよう……と言いつつ、だましだましでサイトを続けて、もう何年経ってますか自分。

永久に未完成とか。笑えない。