Strictかつ洒落たデザインをするにはどうしたら良いか。
一つは、HTMLをできるだけ簡略化して、CSSと画像で魅せる。
もう一つは、HTMLの要素一つ一つに至るまで丁寧にクラス分けなどをして、やはりCSSと画像で見栄えを整える。
前者の強みは、何よりファイルサイズが軽くなる事と、無茶なCSSを書かない限りは、ごちゃごちゃとした見栄えを極力控えられる。後者の強みは、良いCSSを書けば強く視覚的に訴える事ができるが、往々にして情報が読み取りづらくなる。
果たして、そう情報量の多くない個人(テキスト)サイトに相応しいのはどちらのデザインか。
とりあえずHTMLをStrictに書いておけば、ユーザースタイルシートを適用されても万事OKだろうから、まずはそっちからだなあ。まだXHTML1.1は早いのだろうか。IEのシェアをGecko系ブラウザか、もしくはOpera(ありえなさげ)に奪われるまで1.0にした方が賢明、と言うのも、なんだかなあ。
と言うか、ワイヤードの世界自体がベータですか。どこぞの韓国企業じゃないんだから、本当にWebの偉い人には頑張ってもらいたい。
どうでもいい、どうでもいい。
他人の事なんてどうでもいい。書きたければ書けばいいし、描きたければ描けばいい。自分がそこに居ることに甘んじられるならそれでいいだろうし、それが我慢ならないなら前に進めばいい。
議論したいならば、大いにすべきだろう。時に論争し、論駁しあうのもいい。ただ、見苦しさにだけは気を配ったほうが、恐らくいいのであろう。僕にとってはどうでもいいことだが。
表現には二つある。ひとつは自己顕示のため。そしてもうひとつは、人間の内から湧き起こる、恐ろしく残酷な何かを吐き出すため。
僕の表現は後者だろうか。それとも後者にみせかけた醜い前者であろうか。それも、どうでもいいことであることには違わないのだが。
僕は気が向けば書き、言い、吐き出す。少しばかりの画才があれば描きもしただろうし、機材があれば音楽を造りもしただろう。ただ気づいたときに手にあったのがキーボードだったと言うだけで、その根底は恐らく同じ。
世界に対する反抗。それだけが願いであり、救いでもある。
それ以外はどうでもいい、どうでもいい。
PCの使い勝手を良くするためにツールを導入し、導入したらまずカスタマイズして、しばらく使ってみてやっぱり合わないから別のに……。
こういうことが、PCに限らずよくある。例えば今のBlog界なんてのが良い例で、「日記を書くためのツールを便利に使うため」の日記を書いてるBlogが一体いくつある事やら。
過去に、単純に「書ければ良い」って理由で、書く手間が最小限に抑えられていた「日記系CGI」を使用していた人たちは、テキスト村住人(某掲示板の某スレッドのみだが)からは「低質」とみなされていた。文章をマークアップする、という手間を省いた、文章自体にのみ力を注がれたテキストも少なからずあったのに。それは何故か?
以下の趣旨は前にも書いたとおりなのだが、何かを生み出す、と言う動作は、ある程度の障壁がなければ意味がない。その障壁が「ふるい」となって、生み出される何かの不要な部分をそぎ落としてくれる役目を果たしたり、その障壁を越えるほどの意思のないものを遮断する役目を果たしているからだ。
そういう意味で、コチコチとマークアップしている人々には、「彼らよりも手間をかけている」と言う意地のようなものがあったのだろう。それなりに創作作業に慣れ親しんだ人は、そんな「障壁」なんてものは必要とせず、自分の中で完成させて送り出す事が可能だったりするのだが、それができる人は恐らくその「何かしら」のプロになっているだろう。つまり、ほぼ100%アマチュアで、障壁なんてものを用意して漸く人目に晒せる作品しか書けなかった人々にとって、手軽さの弊害である低質な文章はもとより、障壁なしに自分たちよりも上質な文章を生み出す人々が妬ましかったのではないだろうか。
ところが、そいつらは気付いた。数年が経過し、マークアップすることにも慣れてしまった今、障壁は既に取り払われ、何のふるいにもかけられていない駄文が垂れ流されている現状に。彼らは、選択するほかなかった。新たな障壁を求めるか、それとも手軽さがウリの「あっち側」に下るか。
そして、一方はより規格の厳しいマークアップに流れ、もう一方は手軽さがうりであったはずのあっち側で、プラグインを入れたり出したりして、内輪だけの財産にしかならない文章をただ書き流す現状。
小奇麗でコンテンツが隅々まで整理されたサイトよりも、旧態依然のFont要素なんぞが文章内にあるサイトのほうが、よっぽどマシな内容だったりするのは、最早皮肉でなくて何だというのだろうか。
重要なのは手段ではなく目的だと僕は考える。手段など、選ぶ必要はない。ただ一つ、目的だけあれば良い。終点が決まれば、後は進むだけである……のだが、その終点を見つけることが最も難しく、僕が未だ達成出来ないことでもある。
日々を童話王国に費やし、生産放置の傍ら、ぼう、とテレビを眺める。
どうでもいいニュース、曖昧な音楽、ふざけているとしか言いようのない腐った価値観でもって構成された「夢のある」バラエティー、三文小説並みと言うか、それをそのまま映像におこしたようなドラマ。見つめあう男女。スローモーションで抱き合い、BGMがゆっくりとクレッシェンドして行くなか、僕の胸には小火のような鈍痛がはしった。
我ながら女々しい、と言うか、卑屈、と言うか、一口で言うと「お前はそんな人間なのか」とでも言うような感慨を覚えながらも、思考のもっと下の方では、醜く溶けた鉛の濁流が渦巻いている。
人の感覚や感情は、頭ではどうにもならないものである。指先のささくれが裂け、不愉快な痛みが走り、頭では「致命傷でもなんでもないのに」と思い込んだとしても、やはり痛みは治まらない。些細な事で怒りを感じても、頭の中で「たいした事じゃないじゃないか」と自制すれば表面上は平静を装えるが、やはり内心の不燃焼感は暫くの間つきまとう。
それらは、どうにもならない事で、かつ一般生活には何ら支障のない、人間としてのディティールとも言うべきところに近づけば近づくほど、精神と思考の間隙に、どうしようもない、濁った廃水のようなものを流し込む。そして、それは日を追うごとに腐り、悪臭を放ち、こびりついてゆく。
かくして、僕は荒んだ自分自身を発見し、そしてどうしようもない感慨を痛感し、また深く、自我の淵から転げ、落ちてゆく。
そこに救いなどない。ある時点よりも「ちょっとまし」なことを救いと呼ぶのであれば、尚更だ。
大学で心理学を習っている友人が、「人間は、眠くなると暴力的になる」という事を言っていた。
なるほど、言われてみれば、僕は今眠気を感じながら文章を書いているし、今までだってそうだった。自分でも理由はよく分からないのだが、眠気を感じると、僕は文章を書く気になる。
人間は、未だに犬歯の名残があるように、狩猟、つまり戦うことを生業としていた生物であった、と言うのは、恐らく誰もが知っていることだ。太古の昔に、僕らの先祖は自分の種族以外、時には同族の「人間」を殺し、奪い、生き残ってきた。同族であろうがなかろうが、そうする事が目的であったような節さえある。そして、それは今も変わらない。
なぜ、眠くなると暴力的になるのか。そんなことは、少し考えればすぐに分かる。眠気によって理性の壁にひびが入り、本能が滲み出してくるからだ。その暴力性は人間の根源的なものであり、生きる意味であり、数千年もの時間をかけて未だ打ち勝つことの出来ない、克服すべき命題でもある。
しかし、暴力性、即ち怒りとも言える情動は、人間にとって必要不可欠であり、もし「暴力のない世界を」と言っている人々の理想を叶えなければならないとしたら、それこそ某映画のように、人間を無感情にする薬でも打たなければ不可能だろう。先の映画でも言われていたが、「それで人間足りえると思えるなら」の話であるが。
ならば、人類を根絶やしにしてしまえばいい、などと、何百回書いたかも分からない常套句を用いて結論付けるのは、もうやめることにする。もっと、現実的かつ合理的に考えればいい。
ものは考えよう、である。人間のもうひとつの欠陥である想像力を働かせれば、薄汚れて死にかけたドブネズミであろうが、腐臭漂うゴミの山であろうが、美しいものに変わる。
想像してみてほしい。あなたに、きれいなせかいは、みえるだろうか。
「あなたは一体……何がしたいの?」
覗き込むような、観察するような眼で彼女は言う。
「分からない」
僕は彼女の頭の少し後ろのほうを見るように、視点をぼかしたまま囁くように返す。
「でも、あなたは生きているのだから、何かへの意思はあるはずよね。未来か過去か、どちらに向かっているかは知らないけれど、恐らくあなたは、それをどうにかしたいと思っている。果たしてそれは出来ることかしら?それとも、それも含めての分からない、なのかしらね」
「そんなこと……どうでもいいだろう」
彼女の眼は変わらない。
「幼い頃―」
彼女は「ふふっ」と含むように笑い、
「私の幼い頃ね、雲は掴める物だと思っていたの。あの空に浮かんでいる雲よ?今はもう、あれはただの水滴の塊が浮いているだけだと知っているけれど、無知な想像力ってものは凄いわね。空には綿みたいな何かが飛んでいて、あそこまでどうにかして行ければ、掴むことが出来る、って、本気で信じていたわ」
彼女の瞳に、喜々とした何かが走る。幼さを含んだ、無邪気に小動物を嬲るような、残虐な好奇心の片鱗のようなものが。
「何が言いたい」
けだるく、ほとんど溜息を吐き出すように僕は言った。
「つまりね。あなたのそれは、雲じゃあないかしら?あなたはそれを掴めると、心のどこかで確信しているのよ。ふふ、無責任な意思ね。それが亡羊で、不定形で、一瞬間の後には霧のように消えてしまうものだって、あなたは知しらないのよ。いえ、知ろうとしない、の方が正しいかしら?」
さっき彼女の眼に走ったものが、今は確信的な鈍い輝きに変わっている。
「そうだとしたら、それが何だっていうんだ」
彼女の顔は、最早妖艶な笑みに変わろうとしている。
「知ってしまえばいいのよ。あなたのそれは、雲だ、って。あなたのしようとしていることは、そういうことだ、って。それはつまり、あなたは何も出来ないデクノボーだ、って認めることになるけど、事実は事実として認めることは大切だわ。そう、あなたは無能なの。あなたは、私が居ないと何も出来ないのよ」
僕の眼に焦点が戻る。目の前には、無垢な笑みを浮かべた彼女。そして僕の手には―
「僕は……」
呟くように言う。
「ええ……あなたは、何?」
彼女は無垢な笑みを浮かべている。
僕は手を前に持ち上げる。
「僕にだって……」
彼女の無垢な笑みが強張る。
「僕にだって、選ぶことは出来る」
僕はそう宣告し、彼女の目の前で、手にしたナイフで自らの首を引き裂いた。
前輪が歪んで、きい、きい、と不愉快な音をたてる自転車をこいで、すっかりコンクリートで塗り固められ、緑色に濁って泡立った川の横を、のろのろと進む。
頭上では太陽が、まるで人類をゆっくりローストするように輝き、すれ違う人々は一様に俯いて顔をしかめ、まるで葬列に参加しているかのような既視感を覚える。
あまりに自転車の音が不愉快になってきた僕は、鞄からヘッドホンを取り出して、耳に当てた。耳の周りにぬめる様な暑苦しさを感じるが、この自転車の奏でる音の醜さよりは、よっぽどいい。
景色は流れ、今では緑葉が茂った桜並木が小川沿いに植えられた小道へと入る。見上げると、葉の隙間から陽が差し込み、毒々しいまでの葉の青、網膜を焼き尽くすような光彩が、同時に眼に映りこむ。
ひどい眩暈を感じたような気がしたので自転車を止め、ハンドルにもたれかかる様に突っ伏すと、歪んだ車輪の横に蝉の死骸が横たわっているのが見えた。既に小蟻が群がり、丁度羽を一枚もがれて運ばれている最中であった。
僕はその光景を暫く眺めた後、少し自転車を引き戻し、注意深くそれらを轢き潰す様にして、再び帰路についた。