音は、恐らく文章以上に、人へと訴えかけ、恍惚の頂へと連れて行ってくれるものではないだろうか。
古来より、どこの国、どこの地域、どこの社会、であっても、その風土に根付いた音楽が必ず一つはあるものだ。今でこそ歌詞をつけて歌い上げるものが主流だが、恐らく元々は手近にあったものを使った打楽器もどきでリズムを刻み、火を囲み、収穫を祝い、踊っていたに違いない。
いつの時代も音楽が人と共にあり、人は音楽のある風景に身をゆだね、まだるっこしい思考を停止し、拍動と空気の振動、発汗の感覚、熱を帯びた体を本能に近いところで動かし、視線を交わしては、にやりと意味深な笑みを浮かべあい、そして次の日にはまるで遠い昔のような感覚に陥る。
そんな祭典が、東京に更なる熱い風を届けてくれるに違いない。踊れ、感じろ。理性のたがを捻じ切って、僕らはイルカの夢の中へ。
と言うわけで協力出来る方は是非我らがあざーむ氏のお力に。僕は開催日まで生きてれば一人箱の片隅で蠢く事にします。
何やってるんだろうね、僕は。
狩場は延々同じGD3F。ここくらいしか適当に稼げて加速薬が切れるまで座ってられる場所がない。村正持ってバカスカやってるお陰で、見知らぬ人からしょっちゅう支援魔法をかけられる。余計なお世話。
本当、何やってるんだろう。
そういえば支援魔法をかけて貰うとASPD190なのでした。もし転生したら自力で達成しようと思います。
素人が安易な批判をするな、とは、誰が言った言葉だったろう。思い出せないので知っている方は是非教えて頂きたいのだが、ともかくその手の話題で一筆。
最近は何を目にしても、誰がどうだとか、あれはなんだ、とか言う批判を、しばしば見受ける。お笑いブームで台頭してきた芸人も、誰かを批判するネタが多いし、サイトで見かける文章も、少しログを辿れば、一つや二つ何かを批判した文章が出てくる。
その度に思うのだが、彼らはその批判で一体何を表明したいのだろうか。例えばWebサイトのジャンルを分類して、一、二言皮肉った文面を載せて何かを言った気分になりたいのだろうか。例えばあのサイトがどのサイトを面白おかしく批判してたから、それに乗じてこっちも面白おかしく皮肉ってトラックバック送ってみようか、とか思ったのだろうか。よもや、例えばあのサイトは最近注目を浴びてるから、何らかのアクションを起こせばこっちにも目が向けられるかも、とかだったりして。
そもそもの話、批判なんてのは書かれた側にしてみれば、大きなお世話でしかない。自分についてのことを、他人にあれこれと言われ、その上的外れだったりした日には、もう返す言葉もない。自称知識人だとか、少しばかりの含蓄をある方面に持ってるからと言って、安易に書いていいものでは、断じて、ない。文章を書く事は、自分との対話であり、戦いであり、内面を曝け出すことでもある。そこに他所様を持ち込んだところで、「自分はこのことをこう思いますよ」と言った程度の影響力しか、どうあがいたって、持ち得ない。
確かに上手い人が書けば、自分では気づけなかった側面を洗い出して提示することも出来るだろう。新たな観点を提供しもしてくれるだろう。しかし、それも「それまで」でしかない。そこから先は、やはり各々の内部で判断をするしかない。つまるところ、それらの文章群は、精々「きっかけ」程度の効力しか、ないのである。以前あのおすぎが、「私はいい映画が撮れないから今の職業をやっている」と言うようなことを言っていた気がするが、これは恐らく、世の批評家達にとっての事実だろう。
自分には作り出すことが出来ないから批判を浴びせて、作り出せる人にきっかけを与え、そうでない人にははっきりと「こっち側の人間だ」と宣告するために、批判と言うものはあるのではないだろうか。と言うか、僕の小さい腐り気味の脳みそでは、そのくらいの事しか思い浮かばないだけなのだが。
ここまで書いた上でこう言っては元も子もないのだが、僕自身はこれらのことを「どうでもいい」と思っている。読んだ批判文の大多数が、どうも流行に乗ったミーハーな人種を眺めるアンチとか言う人々がほぼ私怨十割で書きなぐったものか、それを指摘したからと言ってどうなんだ、と言った程度のものでしかないように思えたことも、実のところ、僕にとっては些細な問題だ。それが例え僕に向けて書かれたものだとしても、僕は恐らく一歩引いて読み、そこに得るべき何かがあるかどうか、の方を優先するだろう。ただ、先の内容を読んだあなたが、「そうじゃない」と言うならば、それが自己の意思の表明以外の、果たしてどれほどの意味を持つのか……僕はそのことだけが疑問であり、是非ともご教授願いたいところでもある。
下の文章が色々なところに紹介されてるのですが。わざわざコメントをつけて頂いているところもあるので、それとなく反応してみます。
つかれたさん。自己矛盾は承知の上で書いたと言うか、論旨は「批評に対する批評」ではないのでなんとも…。
私たんニュースさん。叩かれれば叩かれるだけ強くなると思うのです。
TricksteRさん。お褒め頂き光栄です。
小生にうずさん。批判はなければないで、困るのですよね。「そりゃねえだろ」な論拠で書く人が多い気がしたもので、書いたのです。
R日記 そのにさん。OS娘騒動でもお世話(?)になりました。僕自身も批評を読んで、ディスプレイの前で大きく頷いていることも多々あるのですが、後々冷静に考えると自己嫌悪を感じたりして。
線友達に贈る詩さん。感じ方、読み取り方次第なところは確かにありますね。ただ、よくよく読めばそれが「叩き」なのか「批判」なのか、すぐに分かると思います。ある意味、愛があるのが批判ではないでしょうか。
Shionさん。理由の質と言うか、種類が問題だと思うのです。
No.58 Alchemist's Roomさん。後ろ半分は正解ですが、評論家を気取った覚えはないと言うか、良い評価を貰えたのが不思議なくらい、よく読むと破綻した文章だったという。早く電脳化したいです。
新・鳳さんちさん。何を書いてもいいとは思うのですけれど、中途半端にやってしまうと、こんなことになってしまうのです。それもまたいい経験になると言えば、そうなのですが。
多分張っていただいて、僕に向けてコメントをして頂いたサイト様は大体捕捉出来ていると思うのですが、漏れてたらごめんなさい。
夕方頃、外に面した階段の踊り場から見えた空。あれは、なんと形容したら良いのだろう。雲がまるで天気図のように渦を巻いているのだが、途中で何か空間に線でも引いたような、雲の切れ端を切り抜いて青空にペーストしたような、ともかく今までに見たことのない不思議な形をした雲。そしてその後ろから夕焼けのオレンジが射し、まるで空に鳥の片翼だけが置き去られたような情景。
その右には、低い位置に広がった雲の上にまた別の雲が覆い被さり、その隙間から、やはり同じようにオレンジの陽が射している。低い雲の縁が輝き、その上には淡いオレンジが雲に投影され、ゆっくりとした雲の流れと共に刻々と表情を変えている。
慌てて部屋に戻り、カメラつきの携帯電話をひっつかんで戻ったときには、既にその風景は、永久に、失われてしまった後だった。
「いらっしゃいませ、こんばんわー」
店員の元気な挨拶に、「いらっしゃいました、こんばんわ」と、誰にも聞こえない声量で返す。のそのそとした動作で清涼飲料水売り場へ歩いて行き、陳列棚を一瞥。ああ、バニララテは、もう売ってないのか……。
仕方ないので、新発売の札がついたココナッツフレーバーのラテと、ボルヴィックのペットボトルを買い、店を出る。家へ戻る途中の坂でココナッツラテを取り出し、一口含んだところで、鼻腔をくすぐる甘いココナッツの香りに、ある時期の記憶がふつふつと呼び起こされた。
もう何年前になるだろうか。叔父と、まだ小学生だった弟と一緒に、タイのプーケット島まで旅行に行った時のことだ。あの国の法律がどうなのかは良く分からなかったが、免許証すらなしに借りたぼろぼろのスクーターに乗り、島のあちこちを叔父の先導で見て回っている時だった。海岸沿い、暑いと言うよりも熱いと言ったほうがしっくりくる南国の強烈な日差しに肌を焼かれながら、火照った体を撫ぜる心地よい海風と共にスクーターを走らせていると、不意に叔父が何かに気づいたのか、浜辺の少し手前にスクーターを止めた。
「あれに乗ろう」
と叔父が指差す先には、かなり古びたマリンジェット数台と、現地の人らしき人々が数人。叔父は片言の英語まじりの日本語で話をつけ、僕に一台、叔父と弟で一台を借り、子供の僕たち以上に生き生きとした眼で、一足先に海に飛び出して行った。
僕も慌てて後を追うようにアクセルを引き絞ると、予想以上の速さで暴れるように進むマリンジェットを必死に制しながら、泳いでいるだけでは知りえなかった海の恐ろしさを、身をもって知った。
ある程度の速さで水面に叩きつけられると、例え少しの距離であっても、もの凄い衝撃が全身に走ることを知ったのも、その時だ。僕は叔父に追いつこうと、必死になってハンドルを握り、波に逆らうように進んでいた。一つ波を超える度に一瞬宙に浮かび、次の波に船底から突っ込むように叩きつけられ、水しぶきが顔や体に、びしびしと降りそそぐ。その瞬間にまた加速し、飛び上がり、着水。その衝撃に戸惑っている間にも、叔父と僕との距離はぐいぐいと離されてしまう。気づけば相当沖に出ていて、少し恐ろしくなった僕は叔父を追うことを諦め、もう少し海岸のそばで走っていようと思った。
戻るときはスピードを落としていたのもあり、幾分楽ではあったが、やはり当時の小さな体には余るほどの衝撃が、断続的に続いていた。浜辺にも近づき、最初の緊張感も薄れ、操縦にも大分慣れてくると、僕は早くも飽きを感じてきた。腕も足もぱんぱんに張ってしまっている。救命胴衣はつけているものの、日本と違って波もきついここでは、振り落とされて流されでもした日には、恐らくただでは済まない。先刻とは別の、より現実的な恐ろしさが、背後から襲い掛かってくるようだった。
すっかり怖気づいた僕は、浜辺で叔父の帰りを待っていよう、と、泳いでいる人にぶつからない様に注意しながら、ゆっくりと浜辺へと戻って行くと、貸主が気づいて、手招きをするように、僕を先導する。水面が大人の腰くらいまで浸かる位置で制止され、マリンジェットを降りようと片側に体重を掛けたときだった。ぐらり、と安定を失った船体が傾き、僕は海に投げ出されるように落ち、マリンジェットは完全に転覆してしまった。
貸主が何事かを言い、浜辺へ上がれ、と言うようなジェスチャーをしたので、浜辺へ戻ると、貸主はマリンジェットを引きずって浜辺へと押し上げ、シートを空けて、顔をしかめた。僕が覗きこむと、シートの中、エンジンらしき部分が、完全に水浸しになっていた。
貸主たちは何事かを言い合い、僕が呆然としているところに、丁度叔父たちが帰ってきた。状況を察した叔父が、貸主に何か言った後、僕と弟にホテルに戻るように言い、「後は任せろ」と微笑んでみせた。
その晩、遅くまで叔父は帰ってこなかった。先に寝る訳にもいかず、じっとホテルの部屋で待っていた僕は、帰ってきた叔父に謝り、そしてあの人たちは、あのマリンジェットはどうなったのかを訊ねた。
叔父は何でもなかったかのように、マリンジェットは保険が利いて大丈夫だったことと、あの人たちは怒るどころか、対応をする間に打ち解けて、家に招かれて夕飯をご馳走になった上に、ここまで送ってきて貰ったことを、かいつまんで話してくれた。また、こういう所でしっかりしないと、自分たちどころか、国の人まで悪い目で見られてしまう、と言うことも。
「全く、行く先々でやってくれるよ」
と、叔父は僕を小突くと、明日は何処へ行こうか、と言う話をしながら、ベッドへともぐりこんだ。
窓の外からは、穏やかなさざなみの音が流れ込んでくる。旅をすること。大人の男というもの。国家の違い。その静かな音と、色々なことに思いを廻らせているうちに、僕はいつのまにか、眠ってしまっていた。
こんな夢を見た。
麻の、深い藍色の着物を着て、心なしか霧がかった大通りの道をするすると歩いている。じっとりとした夏の空気。脇には呉服屋だとか茶屋が並んではいるのだが、その軒先、開け放たれた戸の奥にも、人の姿は見えない。
空にはもやが掛かっているのか、辺りには光が薄布を通して射しているような、明るさとほの暗さが同居している。どこを見るでもなく、懐手をしながら通りを進んでいると、ぽつ、ぽつ、と、冷たいものを頬に感じる。ふと空を見上げると、明るい空から小さな水滴が降り注いでいるのが、コマ落としに見えた。
「狐の嫁入りどすなあ」
振り向くと、真っ赤な振袖を着た女性が番傘を差して立っている。顔は傘に隠れてよく見えない。
「ええ、そのようですね」
僕が空を仰ぎながらそう言うと、
「こんなとこでぼうっとしてはると、狐はんに化かされますえ」
と、女性はからかうように言う。
「そりゃあ怖いですね。お稲荷さんに、厚揚げでもお供えすれば見逃してもらえるかな」
僕もおどけて返すと、
「狐はんみぃんなが、厚揚げが好きとは限りまへんえ」
女性は袖を口元に持って行き、くっくっと笑う。袖には金の刺繍で不思議な9本の模様が走っていた。
「それじゃあ……何がいいと思いますか」
少し考えて思いつかなかったので問い返すと、女性は少しはにかむような、考え込むような仕草で体をくねらせながら、
「そうどすなあ……お酒なんか、飲みたいどすなあ」
ぽつぽつと、番傘にあたる雨粒の音が聞こえる。
「お酒ですか。今度、供えておきましょう」
空を仰いだままそう返すと、女性は「そりゃおおきに、ほな」と、僕の横をすり抜けて通りの奥へと歩き去ってゆく。
すれ違い様、番傘の影に見えたのは、高い鼻でつり目の美人であったが、曲がり角へと消えてゆく瞬間、ちら、と尻尾が嬉しそうに踊るのを、僕はずぶ濡れになりながら眺めていた。
特に不満がある、と言うわけではない。ただ、悲しい。
あえて言うなら責任は僕自身にある。しかし、行動の起点が感情故に、省みることも出来ないし、予想することも出来なかった。
僕は平日、休日に関わらず家に居ることが多い。誘われれば出る事は出るのだが、それも友人に会う方が主であって、行く先が公園だろうがカラオケだろうが、何処だって構わない。一人で見慣れた近所に出る事に、何ら面白みを見出せないだけなのだ。しかし、まだ見ぬ地、普段目にする事の出来ない地へ行く旅行やレジャーは好きだし、先立つものさえあれば、あちこち海外を渡り歩いたりしているだろうと思う。恐らく根底には家庭、地域と言った現実の世界から抜け出したい願望があるのだろう。
ともかく、そんな願望と、ある欲望に近い希望とが噛み合わさり、今回のもう一人の当事者である某彼は嫌と言うほど聞いたであろう「そうだ、四国へ行こう」発言が飛び出したのだ。突飛で、無計画で、無配慮な言動である。今も残る先の発言をした情熱の残り火が、あんなにも後先を考えない程に燃え上がっていたとは、我ながら信じられない。
そして、一行目に戻るのである。例え国内と言えど、自らの食い扶持も稼げない人間には、自由気ままな旅などと言う浪漫は味わえないのだ。予定、手段、思惑全てがすれ違い、結局「そうだ、箱根へ行こう」で落ち着いたのである。
特に不満がある、と言うわけではない。温泉騒動で騒がしいが、箱根も箱根で、きっといい所であろう。今回は少しばかり用意と自制心が足りなかっただけなのだ。彼の地へ赴く機会は、まだまだある。
ああ、そうだ。心残りが、ひとつだけ。僕はあなたに、会いたかっただけなのだ。それだけが、こんなにも必死になってしまった理由。
それだけが、ただ、悲しい。
人の意識の集積とその流れ。
流れってものは、何処にでもあるものだ。それは例えば国であり、地域であり、集団であり、個人でもある。大きな奔流に、小さな、それこそ個人単位の流れが合流し、更に巨大な流れを形作るものもあれば、細々と僻地を流れるこのサイトのような流れもある。
問題は。その流れの分子一つ一つが、流れているかどうか、どの流れに乗っているのかを知覚しているかどうかだ。知覚があれば自覚することが出来、そこで初めて自分の居る流れは正しいのかどうか、判断することが出来る。
僕は自らの意思でこの記事を書くことにより、先の記事について述べる(取り上げる)と言う流れに合流した。そこに流れが在る、という事は、それについての問題意識や関心があると言うことに他ならない。つまり、僕は落胆しているのだ。情報が虚偽であっただとか、そんなことについてではない。嘘なんてそこら中にある。僕ほどの妄想(空想)家になれば、この現実も嘘なのではないかと疑うくらいに。この途方も無い現実は、何処まで行っても嘘であり、真実であるなんてことは、分かりきったことなのだ。そんなことじゃない、僕は、こんな些細な事に動揺し、困惑し、流されている当事者が、彼の人が夢を託したネットワークの子供達
だった、と言うことに、落胆している。
何故取り上げたのか。何故サイトを続けているのか。何処から引用してきたのか。何処を参照するのか。嘘の情報を取り上げてしまう可能性なんて幾らでもある。どんなに眼を凝らしていても、見逃してしまう過ちは必ずある。その情報が真実か嘘かなんて、どれほどの意味があるのだろうか。あなた方はそんなことも「覚悟」せずに、この世界に居座り続けていたのだろうか。もし致命的な過ちを犯したとき、「そうか、病気の子供はいないのか」と言えるゆとりもないのだろうか。
どんなに些細な事でもいい
どんなにくだらない事でもいい
貴方が心動かされた事を貴方の言葉で記し
貴方の手で次の世代に残しなさい
僕は昔の流れに取り残されている訳でも、今の流れに乗り損なっている訳でもない。例え大きな奔流に呑まれようとも、僕は僕の流れの中で、思うことだけを思うように書いている。
今この文章を読んで頷いている貴方。首を傾げている貴方。貴方の今乗った流れの行く末は、一体何処へ流れるのだろうか。
願わくば、その流れが百年の地平を乗り越え、新たな流れにならんことを。