まともに巡回すらしていない昨今。ブックマークをところどころつまみ上げて覗いてみたら、ものの見事に404とclosedの嵐で、また一人とり残されたような寂しさとの格闘。
感覚のアンテナを、以前はそりゃあもう「他人より敏感に」、とでも言わんばかりにブッ立てて、東に面白いネタがあると聞けば飛んで行き、西に哀れな晒し者が居ると聞けば行ってヲチし、グロ画像にも動じず、日々の大半をWebに費やし……と、まあ大多数の人がこんな人間にはなりたくないと思うような情報漬け生活を送っていた身分としては、なんともあっけないもんだと、なんとも簡単なもんだと、呆然としてしまっている。過去にそうであったから、もしかするとまだどこかに「中毒者」としての火種が残っていて、それがある日突然燃え上がり、僕を情報の海へと飛び込ませようとするかもしれない。だけれど今はもう、そんなものが燃えていたかどうかも不確かで。少しの熱の残った、膨大と言っても恐らく語弊はない自らのしたためた文章が、ただあるばかりで。
と言っても、やはり書くことに対する炎は、未だに燃えている。ちょっとばかり、日々注がれる油の量が減っただけだ。だから僕はここを改装したいし、それによってここ最近連敗続きの「文章を書く」vs「MoEをプレイする」ってな勝負も覆したい。それには何が必要か、と言えば、答えは単純明快「閃き」の一言であって、しかしその「閃き」の降りてくる様子は、どうにも、ない。
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つい先日、自転車にまたがって信号待ちをしていた時。そこは些細な十字路で、横方向には二車線、縦方向に一車線分の広さの道路があり、そこそこの交通量があるために、「コ」の字型に横断歩道と、歩行者用の信号が据え付けられている。その時僕は二車線の道路を渡ろうとしていて、しかし丁度その方向の信号は赤、つまり一車線側の道路が渡れる状態だったので、少し歩道の内側、深めのところで、渡る人の邪魔にならぬように、と言う朧げな配慮のなか、ぼう、っと信号機を眺めていた。
そこに停車してから十秒も経たないうちに、一車線側の信号が点滅し始めるのが視界の端に見えた。「今日はツイてる」、そう内心意味もなくほくそ笑んでいると、道路の向こう側、今まさに点滅している信号の下を、自転車に乗ったお爺さんが、ふらふらとしたハンドルさばきでやってきた。さしたる距離でもないし、危ないタイミングと言うわけでもない。ただ、「よくやるよ」と言う印象しか残さない、絶妙のタイミングではあった。
僕は「突っ込まれて転ばれて怪我でもされちゃかなわん」と無意識に判断したのか、目の前をふらふらと通り過ぎようとするお爺さんに少しでも広く道をあけるために、さらに自転車を後退させた。ふらふらと目の前を通り過ぎるお爺さん。顔は心なしか緩んでいる。そしてふらふらと目の前を通り過ぎるお婆さん。やはり、顔は心なしか緩んで……ちょっとまて。その歳で二人乗りか。
ふらふらにこにこ、お爺さんお婆さんは通り過ぎ、ふらふらにこにこ、何処かへ消えてしまった。気付けば正面の信号は青色。周りの人よりかなり遅れて進み始めながら、一瞬間前の出来事を、思い出す。
自分だけの世界に、だとか、二人っきりの世界に、と言う言葉がある。物事に熱中し過ぎて、周りが全く見えなくなったりするような状況。そういう時を目の当たりにすると、僕はいつも重さを感じる。
例えば、どんな場合でもいい、ともかく知り合いか、友人だかと、食事をとりに行ったとする。食事と言うのは、重さがもっとも良く見て取れる風景のひとつだ。店に入り、テーブルにつき、料理が運ばれてくる。多少言葉は交わすだろうが、必ず沈黙し、料理に集中する時間が、一瞬だけだったとしても、ある。その無意識の間隙、ふと相手の顔を見、その無心の顔、作法、仕草に意識を向けるとき、人の重さに圧し潰されそうになるのを感じるのだ。
箸の持ち方ひとつだってそうである。それは誰に教わったのか。どうやって教わったのか。いつごろ使えるようになって、それまでにどんな失敗をしたりしたのだろうか――そう言った人の行動の一面、いや一片に、その人の全を勝手に想像し、それがさらに何の関係もない他人への想像へと繋がり、また瞬間的に次々と連鎖して、最終的には「その人」を通して見える「人の全」の重さに、うちのめされる。
正に、あの瞬間がそれであった。そういう感覚は、年配の方を見た時、より一層強く喚起される。その上事もあろうに、年配の方々の幸せそうな二人乗り、である。二人の笑顔の起源、二人乗りの過去、そう言った形も留めない、不定形で素早い思考の光芒に、僕までくらくらとしながら家に帰った、と言うだけの、下らない、話。
天啓は降りてきたものの、未だ着工せず。と言うのもMoEやってたり、こんなことやってたりするからなのだけども、何と言うか、仕方ないよね?
samurizeも弄ってみたいし、折角のハイスペックなのだから出来る事は片っ端からやろうとするも、MoEと言う分厚くて高い壁が邪魔をして、何をするにも気が入らず、ああスキル構成どうしよう、ああスキルキャップどうしよう、と、こう書いている今でさえも考えている始末で、早い話が今回の更新はDIAMONDサーバーのチャンネル「common」に、パスワード「sense」で入って僕と握手!と言う風な、全くもって普通の方々には関係のない話なのであります。と言うかチャット主に無断で宣伝してるのだけど良いのかな。まあいいか。
そんな訳で大きな動きは、九日、十日の入試が終わってからだと思うのですよ。何か言いたい事があるかと思いますが、おにいちゅんはMoEで忙しいので全く聞く耳持てません。デストローイ。
X-Day到来。今日、明日と面白い事が続く。そもそも時期を逸し、タイミングを逃し、努力すらして見せずに今に至るわけで、そして「その手」の方面に努力する気概は毛頭なく。
半分言いなり、半分能動と言うのも、何だか宙ぶらりんで、僕らしくもなくて、酷く滑稽でもあり、そして惨めでならない。十中八九受けたところで落ちるのは目に見えているので、その後の事を考えよう、とつらつらと思索してみても、導かれる選択肢はたったの二つ。ひとつは、仕事を探し、書き、夢を見る。もうひとつは、逃げ、彷徨い、野垂れ死ぬ。
我ながら短絡的で、元も子もない選択だとは思うが、それ以外に考え得る「先」はなく、一方に至っては「先」がそのまま終点、なんて言う面白可笑しさ。死ぬのすら自由じゃない、それどころか金の掛かる国に生まれちまったばっかりに、こんな有様ってのも、まあ、それが人生ってやつだろうか。ほっといても流れ弾で死んじまう国に生まれついた方が、よっぽど「それらしく」生きられたかも知れん。温い産湯に与って、温い世間に首まで浸かり、ぬるぬるのだらだらで、今の今まで悪運と幸運と人の善意だけで繋がってきたような人間、そんな奴だ。一言で断ぜる。「どうしようもない」ってな具合に。
はてさて、数時間後にはでっかい講堂の、やたらに長い机について、見たこともない問題と睨めっこ、適当にマークして寝そべって昼飯食ってマークして寝そべって、ここに戻ってきて寝る。これが二日続く。本当に、馬鹿らしい。
いっそのこと、名前すら書かない完全な白紙か、それともマークシートで遊んで帰ってこようか。遠目に眺めるとマークの点が「google」になるように塗りつぶす、とか。一応まじめを装ってやらんと後々面倒くさそうなので却下。それはそれで面倒だけれども仕方ない。万に一つのうっかり合格、なんてのは天文学的確率でないだろうけども、まあそのうっかりも起きたら起きたで貰いもん、と言うか、ここまで書いてしみじみ思うに、将来とかこの先とか心底どうでもいいと思っているな、僕は。
そんな訳で、時間ギリギリまでMoEやって行って来ます。舐め切ってる?何を、今更。
ぼうっとしているとすぐに時間は経ってしまう。何も途中で切り上げなくとも、人の一生なんて短いものだね。記憶が即ち主観的過去だとすれば、僕はそれこそ生まれて二、三日と言ったところだろうか。いや、昨日のことすら満足に思い出せない。ずっと昔らしきことと、つい昨日らしきことの区別がつかない。そもそも時系列なんてものがあるかどうか疑わしい程に、頭の中まで散らかっている。
さて、この二十日近くをどう過ごしていたかと言えば、紙切れに黒いマークをつけ、ネットに文字の羅列を打ち込み、縦横五列ずつくらいしかない記号の羅列の中に手元の紙切れにかかれているものと同一のものがない事を確かめ、そうであったと教師を名乗る男に言い、職でも探すかと呟きながら、そして呆けていた。何事かを言ったかもしれないし、何処かへ出かけた気もするし、何かをしたような気はするが、しかしそれと分かる記憶はない。残るのは記録ばかりだ。
ああ、今日の事は覚えている。友人に、ある事情でもって、十駅近く離れた小杉くんだりまで出張り、その友人が思いを寄せる子の働くファミリーレストランでサラダとオムライスを食べ、スティック砂糖を店への嫌がらせとばかりに消費したコーヒーを二杯、飲んだ。その最中彼氏は顔を紅潮させたり、青褪めさせたりして大変面白かったが、彼女のシフトが終わる頃合になると流石に腹を据えたのか、それらしい顔つきになった。来る時に小雨だった空は、いつの間にか強烈に打ちつける豪雨へと変わっていた。傘を片手にうんざりしている僕を尻目に、彼氏と彼女はこの雨すら意に介さないのか、仲睦まじく帰って行く。その背中に「頑張れよ」と声には出さずに告げると、急に身につまされる様な思いになって、早足に、ずっと俯いたまま、駅へと向かった。
帰宅ラッシュの混雑した車内から漸く抜け出し、ホームと電車の境目を抜けるとき、はらりと視界の隅に何かが降った。後続で下車する人に乱暴に押される中視線を上へと向けると、さっきまでの豪雨がいつの間にか、大きな牡丹雪に変わっていた。もう二月も終わり、三月に入ろうとしているのに、まだ冬の気配は薄れるどころか、むしろ濃く強くなっている様に思う。破壊的な音楽を、破壊的な音量で聴きながら、電灯の無機質な明かりに浮かび舞う雪を白痴の様に口をあんぐりと開けて眺め、はたと衝動に駆られて、送られた方は迷惑でしかないような中身の無い文面のメールを送り、そしてまた雪を眺め、「頑張れよ」と声には出さずに誰に告げるともなく言うと、ふらりふらりと、散歩なのやら、帰り路なのやら分からない足取りで、うっすら記憶に残る慣れたあそこへと、ただ歩を進めた。