www.progressistance.org

2005-03:index

20050312

習慣と言うものも、あっけないものだ。そろそろ人生の三分の一になるくらいの時間をここ、ワイヤード上で生きていると言うのに、あっという間に日々を記す習慣は抜け落ちてしまった。

久々に弄るXHTML、そしてez-HTML。随分と触ってなかった所為もあるのか、今までは余り気にかけなかった細かなバグにまで鬱陶しさを感じる。何故に改行するとカーソルの合っている行ごと改行されるのだ。あまり前のPCではそんな事はなかった様に思うから、恐らくどこか相性が悪いのだろうが、それにしても鬱陶しい。

ああ、ともかく。近いうちにやらねばならない事が増えたことであるし、何しろ勘と腕を取り戻さねばならない。一瞬ソースを見て思考停止しかけてしまった。こんな状態ではまともな仕事など出来よう筈もない。

長かった学生生活も終わり、晴れて無職ニート駄目人間へとクラスチェンジも完了。先を見据えると暗澹たる思いしかない様にも思えるが、そんなもの、今に始まった事ではない。知ったことか、と言う話でもある。なるようになってしまえばいい。なるように、足掻くだけだ。

……とかなんとか、自己憐憫出来る様な時期も、もうそろそろ終わりなのだろうね。色々と、かたをつけなければいけない。何よりまずは、誰か、仕事を下さい。

20050313

左の奥歯の詰め物が少しずつ欠ける様に取れ、ついにぽっかりと穴が開いて約半年。痛くないものだから放置しておいたら、ここに来て尋常じゃない痛みを感じるようになってきた。

ついこの前、租借している拍子に、今しがたつまみあげて口に入れた魚の小骨が、見事に大穴に向けてジャストストライク、一瞬脳天から銃弾をぶち込まれた様な、何と言うか「落雷を受けるとこうなるんだろうな」と言うような電流、そして痙攣、眩暈。痛みで意識が吹き飛びかける経験は初めてであった。

その場はとりあえず波紋の呼吸で痛みを耐えきり、痛み止めを飲みつつ一晩寝たらあっさり直ったので、またのんべんだらりと過ごしていた所、昨日の晩辺りからじくじくと痛み始め、今しがたまで左頬が引きつりそうなほどに痛みがびりびりと走り続けていた。これは本格的にヤバそうなので、近所に良い歯医者はないかと探してみたところ、丁度良く十五日に開業する歯科医があったので、そこに狙いを定めて、今の所気休め程度に、痛み止めが入っている風邪薬をオーバードーズしつつ、乗り切っている。妙に瞼が重かったり、眠くもないのに意識がふわふわとするのはきっと気のせいに違いない。

20050316

またスイッチが入ってしまった。こうなると何もかもが嫌になる。

*

そもそも立脚点が違うのではないかと思うことがある。他人の、前向きな姿勢と言うか、何かに裏打ちされたような意思と言うか、僕の持つ負の思考や意思と真逆に位置するようなものを持っている人とは、何かが根本的に違うのではないかと。

彼らは一体どういうものを見ているのだろうか?どのようにすればこの現実の前でああも平然と見えるようにしていられるのだろう。そりゃあ僕にだって、「そういう」時はある。どんな障害や困難すらも計算外に動いてやろうと言う意識を持つ事だって、出来ない訳じゃない。だけれど、そう言う時に限って、根こそぎに気力や意思を奪い去る途方もない現実にぶち当たる。意志薄弱なのだろうか、僕は?そうでないと言い切ることは出来ない。「僕と他人とは違う」、そう言って思考停止の彼方に原因を追いやるのは簡単だ。だけれど、どうやら彼らは単一の個ではないし、そして僕のような人種も同様らしい。

具体的な話に出来ればもっと分かりやすく、対策の立てようもあると言うものだが、しかしどうもそう言う類の感覚は漠然としたもので、あからさまなものもあれば、あんまりにも些細なことで引き金を引かれてしまうこともある。一概にどういう時にどうなるからこうだ、とは言い切れない。どうにかして他人に伝えようとしたところで、ただ不純物の塊が残るばかりだ。

時間。そう、時間が経てば、忘却なり思考の内の閾値が低くなるなりして、次第に普段の心持に戻りはする。だけど当然そんなものは、棚上げしたに過ぎない様なもので、結局は何かの拍子にまた同じ厭世の穴へと突き落とされてしまう。その度にじっとして、時間の経過ばかりを待つ様では良くない。しかし有効な対処法があるわけでもない。

何処かで間違ってしまったのだろうか。それとも何かが僕には足りないのだろうか。もしかすると生物的に欠陥があるのかもしれない。……原因を求めても、やはりろくでもない方向にしか思考は向かない。足は停まり、思考ばかりが空転して、ずぶずぶと底なしの沼に呑まれていく、そんな空想ばかりが強くなる。

友人に別れ話を聞かされる。彼女の方から一方的に切られたらしい。何もかもが予想の外で、あらゆる意思は錯綜して、最後に残るのは後悔と絶望でしかないのだろうか。いつもの僕であればここで「それでも足掻くしかない」と結論付けてしめる所であるが、もう、そう言うだけの気力もない。力なく項垂れ、指先を這いずりまわし、無為な言葉をたどる他に、何も出来ることが思いつかない。

何でこんなになってしまったのだろう。

20050318

左の奥歯が欠けてから約半年。猛烈に痛みだして不安になったのが一週間前。歯医者に通いだして五日。二度目の診療である今日、僕の奥歯の神経の大半が削り取られた。

人の体と言うものは、何とも繊細で、難儀なものだ。二十本ある歯の、たかが一本が侵食されただけだと言うのに、まるで死の秒読みでもされているかの様に、一秒ずつ、確かな痛みが、脳髄にまで貫くように、響く。

真新しい高価そうな器具。開業したその日に足を運び、齢三十程の若い歯科医師に身を任せ、多少の不安を感じつつも、その見かけに似合わず――失礼だとは思うが、率直な感想として――熟練した治療技術に安堵し、しかし他人に口内を弄くりまわされると言う不慣れな感触に、頭は勿論指の一本までどういう態度をとったものかと、ギリギリと削られる歯の傍ら考える。

僕が余りにも痛そうにしていたからか、歯茎の両側にたっぷりと注がれた麻酔が、頭にまで回ってきたらしい。いまいち思うように思考がまわらない。唇は完全に麻痺し、自分から切り離された肉が顔の下半分に張り付いているような感覚。情熱だとか興奮と言った感情を抜きにすると、キスと言うものはこういう感じなのであろうかと、不埒な思いも、ちらと過ぎる。

何にせよ、後五、六回である。どうやら神経が完全に侵されていたらしく、時間と手間をかけて、全て取り除かねばならないらしい。そうすれば、水を含んだだけで不快な思いをすることも、咀嚼の際に丁寧に右側の歯のみを使って食物をすり潰す様な煩わしさからも開放される。

生存と言うものはこんなにも明快で単純な事であるのに、生きるとなるとすっかり複雑怪奇になってしまうと言うのも、面白い皮肉だ。しかしながら、機能面だけでも整えておかねばならない。何か事にあたったとして、もしそれに失敗でもした時に、歯がゆさならぬ歯痛さを感じるなんてのは、まっぴら御免である。

20050329

何もしない時間ばかりが増えたように思う。いや、実際僕がこうして生存している以上、例え意識がないにしても体は「何か」をしている訳だが、能動的に行動していないことを「何もしていない」状態だとすると、僕はこのごろ、全くもって何もしていない。

これは折を見てはてなダイアリーの方に書こうと思うのだが、こういう文章だとか創作だとかと言う、人の内面にある何かを外に出そうとする行為は、一旦何かを外から一定量受けなければ、出すことが出来ない様に思う。

例えば今ではすっかり一般化したblogであるが、数ヶ月、数年と日記を書いている人で、他所のサイトは全く見ない、と言う人はまずいないのではないかと思う。見ていないにしても、他の情報媒体にある程度依存する生活はしている筈なのだ。何故かと言えば、早い話が、何も受け取らなければ、送り出すものが見つからないからである。

単にblog界隈での活発なやり取りは、そういう点においては「当然」のことと言えると思う。他所のblogを読み耽ると、自分の中にあれこれと発散したい、書いてしまいたいという欲求が沸き起こるのを感じるのだ。実際過去の僕は星の数ほどのサイトを見、そして同じだけの欲求を自分のサイトにぶつけて来たつもりだ。時間が経てばそういう欲求ははたと消えうせてしまう。毎夜の持て余した時間にあちこちへと巡回し、潤沢に蓄えられた欲求を即時自分のサイトにぶつけて発散させ、それを見てまた他の誰かの欲求へと変質する、そういう循環がここにはあるように思う。だからこそ手軽に書き込み、編集のできるblogツールが人気を集め、今日の興隆を生み出すまでに成長したのではないだろうか。

とは言え、冒頭にも書いたように、最近の僕は全く「何もしていない」。自分でも驚く……いや、驚くというよりほとんど諦めと言うか、達観してしまった感じと言うか、動揺のない感覚でもって「驚いた」、と言っても何の感動もないので曖昧な言い方になってしまうが、ともかくとして僕はごっそりと色々なものを落としてきてしまったらしい。部屋を模様替えした弊害でテレビは見れず、先のネットからの隔離によってすっかり中毒者としての毒気を抜かれたお陰でブックマーク先を巡回する気も起こらず、時折やってくるメールや電話でもって友人と戯れたり、気が向いて電話帳に登録されている中でも仲の良い人と二、三度のメールのやり取りを行う以外に、全く発散も受け取りもしない生活。

全く、どうかしてしまっているのかと思う。ふつふつとやるべき事ややらなくてはならない事が脳裏に浮かぶが、次の瞬間には亡羊とした意識の空白の彼方に追いやられ、またいつもの無気力駄目人間に戻ってしまうのだ。これがMMORPG狂いであったりすればまだ救いのある方で、あれはそのうち飽きが来るものであるから、そういうものに熱中していた分、その後の反動として動けるようになる。僕は文字通り何もしていない。何も出来なくなってしまった。いや、初めから何も出来なかったのか?と言う風な古めかしいお決まりの自己答弁をしてしまう程に、何に対しても関心が持てない。

最近は何を飲み食いしても気分が悪くなる。吐き出すまでには至ってないが、食事量が日に一、二度であった今までに増して、さらに量まで減ると言う事態になっていて、こう書いている今も数時間前に食べた夕食が未だにみぞおちの奥の方で焼けている。先日は久々に長時間外に出たところ、体が花粉に今までにない過敏な反応を示してくれたお陰で、今も乾燥した唇の端が切れて痛む。

歯医者の予約もすっぽかして半週間が過ぎた。いよいよもって、どうしようもない所まで来ているのかもしれない。