空では夕日が陰り、そよぐ風に橙に染まったゴッゴル畑が跪く。私はその中で、髪を風に任せるままに、ただただゴッゴル畑の風景、その香り、色彩に、意識を奪われていた。
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高く伸びた茎の所々に細い葉を伸ばし、肌寒くなる時候にはその先端に実を宿すゴッゴル。一見不気味な見てくれではあるが、その味と香りに、今では多くの人が好んで食する。
「またゴッゴルですか」
籠一杯に収穫したゴッゴルを見て、彼は辟易とした顔をする。今は丁度ゴッゴル収穫の最盛期。一週間、朝昼晩全ての食卓にゴッゴルが並ぶ事も珍しくない。
「折角の旬の食材です。食べなければ、勿体ない」
私は夕餉に使うゴッゴルを数個台所に置くと、残りを床下の冷蔵庫に入れようと、蓋を引き上げる。冷蔵庫は既にほぼ満杯と言った風で、収穫されたゴッゴルが所狭しと詰め込まれてはいるが、特に気にする事もなく、私はそこに無理やりゴッゴルを詰め込む。硬い外皮に覆われているため、多少の衝撃や圧力ではビクともしない。今日、ゴッゴルがここまで広まるに至った要因の一つである。
「もうそんなに採ったと言うのに、これ以上どうするんですか」
彼はテーブルに突っ伏したまま、人差し指を立てた片手を冷蔵庫と天井を行き来するように振る。
「食べます」
簡潔に答え、ゴッゴル用の、野菜包丁に似た、しかし心持ち大きな包丁でもって、ゴッゴルを天辺から二等分にする。竹を割るような、気味の良い音が響いた。
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ゴッゴルは不思議な植物だ。昼の間は細い葉を茎に寄せるように閉じている。しかし、宵闇が迫るにつれて段々と葉は広がり、月が空の中心に来る頃には、茎からほぼ垂直に葉を伸ばす。満月のような真円に近い形、鮮やかで少し陰のある黄色の実をもって「月に愛されているのだ」とする学者もいるが、発見、栽培されだしてから、未だにこの習性の謎は解かれていない。
「しかし、よくもまあ飽きませんね」
半円形に切り、中身をくり貫いたゴッゴルの器を、指でゆらゆらと弾きながら彼は言う。
「美味しくないですか?」
スプーン一杯に掬いあげたゴッゴルスープを口にしながら私は答える。
「美味しいことは、否定しません」
彼は姿勢を正すと、デッサンをする画家の様に、スプーンに親指をそえてぴっ、とゴッゴルスープに向けて立てる。
「ですが、朝もゴッゴル、昼もゴッゴル、夜もゴッゴルとなると、日々がゴッゴルゴッゴルし過ぎて、嫌になってしまいます」
「ゴッゴルゴッゴル、ですか」
私が繰り返すと、
「ゴッゴルゴッゴルです」
彼も繰り返す。
お互い繰り返しつつ、一向に減らないゴッゴルを前にしながら、夜が更ける。
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ゴッゴルは一つの実につき、一つしか種を残さない。実をつけると段々と萎れ、最後には成熟した種を地面につけるようにして枯れてしまう。しかし、茎をいくら切ってもその上にまた実を宿すので、朽ちきって一つだけの種を落とす前に、実を切り取っておく。そうすれば、次の年にまた同じようにゴッゴルは実をつける。
「おあようごあいまふ。またゴッゴルですね?」
大きく欠伸をしながら彼は喋る。
「喋るか欠伸をするかどちらかにして下さい。今朝もゴッゴルです」
テーブルについてもごもごと何かを喋ろうとする彼の前に、早起きをして作った特製ゴッゴル炒めを置く。
「そろそろ、ゴッゴルになってしまいそうです」
フォークでゴッゴル炒めを弄り回しながら彼は呟く。
「あなたがですか?」
口一杯にゴッゴル炒めを含んだまま、辛うじて聞き取れる発音で私は喋る。
「そうです。夢に見たのです。僕は朝起きるとゴッゴルになっていて、そして毎年季節が来ると、君に実を刈り取られるのです。嬉しい様な、悲しい様な」
「それは良いですね。食事に口うるさい人が一人減ります。万々歳です」
そう私は言うと、完食した皿と、ただ弄られ玩ばれただけの、ゴッゴルが泣いている皿をさげる。
「ああ、食べようと思っていたのに」
嘆く彼を尻目に、私は黙々と食器を片付ける。ゴッゴルに、なってしまえば良い。
*
ゴッゴルが何処で発生し、どの様にして広まったのかも、定かではない。ある時を境に突然ゴッゴルは群生し始め、食べてみたら大変美味しい。栽培も楽で、どんなに痩せた土地であっても、他の土地と寸分違わぬ実をつける。そして、実を適時刈り取ってしまえば、枯れる事もない。それは永遠に生きるようで、しかし人の手を借りなければ儚く枯れてしまう運命。生き物には、世に生まれ得る意思があると言う。ゴッゴルの意思は、果たしてどんなものだったのだろうか。
「お早う御座います」
一人呟く。
「お早う御座います」
もう一度呟くが、返って来ない。
ある朝起きると、彼が忽然と消えていた。庭には大きく実をつけたゴッゴル。
「あなたですか」
ゴッゴルに語りかける。返って来ない。
「本当に、ゴッゴルになってしまったんですね」
返って、来ない。
*
ゴッゴルの生命力は凄まじい。根を掘り出して植え替えても、一寸の衰えもなく育ち続ける。
私は彼……いや、庭に生えたゴッゴルを、ゴッゴル畑に持って行くと、丁寧に植えた。
「私よりも、仲間と一緒の方が、気楽でしょう」
宵闇が迫り、そよぐ風の中、ゴッゴル達はゆっくりと葉を広げつつ、戯れるように踊る。
「もうすぐ刈り入れ時ですね」
陽が完全に沈み、辺りは闇に包まれる。月に照らし出された黄色い実が揺れ、さながら月の大地に降り立った気分だ。
「私も、ゴッゴルが嫌いになりそうです」
私は眼を閉じる。ゴッゴル畑は視えない。液の垂れ始めた鼻では、ゴッゴルの香りも分からない。そよぐ風のさざなみも、もう私の耳には届かない。
「捕まえる方が私だとは、滑稽だとは思いませんか?」
その声もゴッゴルの囁きに掻き消され、ただ揺れるゴッゴルの感覚だけが、私の全てを支配していた。